夏越の祓(なごしのはらえ)茅の輪くぐりの季節が近づいてきました。
東京大神宮に於いても、夏越の祓「大祓式」と「茅の輪くぐり」が行われます。正月からの6ヶ月間に、知らず知らずのうちに犯してきた罪穢れを祓う神道のご神事です。
東京大神宮に夏越の祓が終われば、もう夏!縁結びの季節^^
東京大神宮の恒例、夏季限定「ほたる守り」の(初穂料500円)授与が始まります。東京大神宮の夏の催事は続き、七夕祈祷祭の七夕さまが楽しみですね!まずは、夏越の祓と茅の輪くぐりで縁結びの効果も倍増ですよ。
夏越の祓えは東京大神宮に限らず、日本全国の神社で執り行われる大事な御神事なのです。夏越の祓えの効果で心身清め元気に猛暑を乗り越えるのです。
東京大神宮で縁結びのお守りを求めるだけではなく、ぜひ、日本の伝統文化であり、神道の大事な御神事である夏越の大祓式にも参加されてみてはいかがでしょうか。茅の輪くぐりで無病息災のご利益を頂けます。
◆大祓式とは(夏越の祓・年越しの大祓)
大祓とは、心身の罪穢れの祓いを祈る神道の重要な行事です。
我々は日常生活の中で、意識せず、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまったり、罪や過ちを犯してしまっていることがあります。
夏越大祓、年越しの大祓の「大祓」は、半年の間に罪、咎(とがめ)を犯していないつもりでも、我が身に積もってしまった心身の罪穢(つみけがれ)を祓い清める御神事です。
誕生した時のように、清浄で素直な浄心に立ち返り、魂魄清明に立ち帰り新しい出発をするのです。
※12月の大祓(おおはらえ・おおはらい)は「年越の大祓」ともいい、新年を迎えるために、今年一年の罪や穢(けがれ)を祓い清めるご神事です。
◆大祓 一般的な祓の作法
・人の形に切り抜いた紙(形代)を神社で頂きます
・形代に、ご自分の名前と年齢を書きこっます
・その形代で身体を撫でて、最後に息を吹きかけます
・罪穢れが形代へ移りました
・形代を封筒に納めます
※わが身に代わって清められます。形代を神社に納め、後に神職が御神事に則っり、水に流したり御焚き上をげして消滅します。
※形代は多くの場合、神社に電話をすれば郵送してくれますから、また郵送で送り返します。遠隔地の神社でも便利です。
※6月30日の儀式は「夏越の大祓式」。12月31日の儀式は「年越しの大祓式」となり,半年ごとに罪咎を水に流して清明になるのです。
延喜式にある『大祓詞(オオハラヒノコトバ)』を一度読まれてみると良く理解できます。
記紀に記載されている伊邪那岐命(イザナギのミコト)の禊祓いを起源に、宮中行事として執り行われて来ましたが、一般神社の恒例式となるのは中世以降であるとも云われています。
東京大神宮では、茅(ちがや)で作った大きな輪をくぐる夏越の祓「茅の輪くぐり」が古式に則って執り行われます。
※大祓は「おおはらえ」「おおはらひ」「おおはらい」と通用します。
※夏越の祓は、名越の祓とも表記され、六月の祓とも云われます。
東京大神宮の関連リンク:縁結びのご利益と効果
東京大神宮 結婚式と九条節子姫
東京大神宮 結婚式と九条節子姫のご紹介です。
縁結びの東京大神宮が神前結婚式の創始であることを知り、「お守り」の効果や「おみくじ」だけではなく、ある女性のことを知りました。
その御方は「九条節子姫」と申しますがご存知でしょうか?
東京大神宮が創始と云われる神前結婚式の大元になられた女性です。
九条節子姫の伝記を読み、思い浮かんできたのは東京大神宮の「縁結び鈴蘭守り」のお姿でした。
◆九条節子(くじょう.さだこ)姫とは
九条道孝公爵(旧摂家)の四女として、1884年6月25日に御誕生された、貴族のお姫さまなのですが、学校に入学されるまで農家に里子として出されており、裸足で野山を駆け巡っていたと云われています。その逞しく成長されたお姿から「九条の黒姫様」と陰では呼ばれたりもしたそうです。
■九条節子姫 結婚式
皇太子嘉仁親王(大正天皇)と宮中の賢所の神前で挙式(1900年5月10日 )されてます。
宮中賢所での御成婚に因み、東京大神宮が神前結婚の奨励に努められ、厳粛の中にも優雅である神前結婚式が、今日のように一般家庭に定着していくようになったと云われます
夫婦仲いたって睦まじく、大正天皇と御成婚後のお二人は、古き慣例を廃止して、夫の身辺は自らがお世話されたと伝わっています。
天皇の死後の貞明皇后(節子姫)は、大正天皇の遺影を安置したお部屋に籠もられ、午前中の大部分を過ごされていたそうです。
まるで「生ける人に仕えるよう」な有様だったと関係者が後に証言されています。
数多くの和歌を生涯に渡って遺されると共に、大正天皇の影響からか漢詩にも造詣深い聡明な女性でもありました。
蚕糸・絹業の奨励に努められ、身をもって救癩(ライ病、すなわちハンセン病)事業に貢献され、また、海洋国日本の灯台を守る燈台守の支援にも尽力されています。障害を慈善に尽くされた女性でもあるのです。
近代女子教育の研究家を相談相手に宮中に招かれる一方、皇室や神道のしきたりや伝統をとても大事にされていたそうです。
1951年(昭和26年5月17日) 国民の大きな悲しみのなか66歳で崩御され「貞明皇后」と追号されています。御陵は多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)に葬られています。
日本国憲法下「皇室典範」に則ってて葬られた最初の皇族になられます。
関連記事⇒縁結びのご利益と効果
縁結びの東京大神宮が神前結婚式の創始であることを知り、「お守り」の効果や「おみくじ」だけではなく、ある女性のことを知りました。
その御方は「九条節子姫」と申しますがご存知でしょうか?
東京大神宮が創始と云われる神前結婚式の大元になられた女性です。
九条節子姫の伝記を読み、思い浮かんできたのは東京大神宮の「縁結び鈴蘭守り」のお姿でした。
◆九条節子(くじょう.さだこ)姫とは
九条道孝公爵(旧摂家)の四女として、1884年6月25日に御誕生された、貴族のお姫さまなのですが、学校に入学されるまで農家に里子として出されており、裸足で野山を駆け巡っていたと云われています。その逞しく成長されたお姿から「九条の黒姫様」と陰では呼ばれたりもしたそうです。
■九条節子姫 結婚式
皇太子嘉仁親王(大正天皇)と宮中の賢所の神前で挙式(1900年5月10日 )されてます。
宮中賢所での御成婚に因み、東京大神宮が神前結婚の奨励に努められ、厳粛の中にも優雅である神前結婚式が、今日のように一般家庭に定着していくようになったと云われます
夫婦仲いたって睦まじく、大正天皇と御成婚後のお二人は、古き慣例を廃止して、夫の身辺は自らがお世話されたと伝わっています。
天皇の死後の貞明皇后(節子姫)は、大正天皇の遺影を安置したお部屋に籠もられ、午前中の大部分を過ごされていたそうです。
まるで「生ける人に仕えるよう」な有様だったと関係者が後に証言されています。
数多くの和歌を生涯に渡って遺されると共に、大正天皇の影響からか漢詩にも造詣深い聡明な女性でもありました。
蚕糸・絹業の奨励に努められ、身をもって救癩(ライ病、すなわちハンセン病)事業に貢献され、また、海洋国日本の灯台を守る燈台守の支援にも尽力されています。障害を慈善に尽くされた女性でもあるのです。
近代女子教育の研究家を相談相手に宮中に招かれる一方、皇室や神道のしきたりや伝統をとても大事にされていたそうです。
1951年(昭和26年5月17日) 国民の大きな悲しみのなか66歳で崩御され「貞明皇后」と追号されています。御陵は多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)に葬られています。
日本国憲法下「皇室典範」に則ってて葬られた最初の皇族になられます。
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